志村さんが亡くなった。でも、東村山音頭は引き継がれます。

あの志村さんが亡くなった。国民に元気と笑いを届けていた志村さんが亡くなった。

 

まだ、他人事のように感じていたコロナの恐怖が身近な存在として改めて感じられるようになった。

 

今年、開成中学に合格した生徒と桜蔭中学に合格した生徒にはこんな授業をしたことを思い出した。

 

「茶の名産地は静岡の牧之原、鹿児島の知覧、そして埼玉の狭山などが有名なんだ。君たちは知らないだろうが、先生が子供のころはこんなのが流行っていたんだぞ。」

 

そして私は志村けんの「東村山音頭」を歌った。「東村山、庭先は多摩湖狭山茶どころ情けが厚い」と。

 

授業中に歌ったのはこの時だけである。

 

志村さんとは関係がないが、この時の生徒には「環太平洋造山帯」については、こんな教え方もした。

 

日本、南北アメリカ大陸の絵を描き、「象」が太平洋を囲むように隊列を組んで行進している絵を描いた。

 

そして「いいか、これが環太平洋ぞうさんたいだ」と。

 

子供たちは大爆笑した。そしてきっとこの絵のことは忘れないだろう。

 

ただただ教科書的に教えるのではなく、何かしらインパクトを与え、笑いを盛り込みながら授業をすると子供たちの記憶にしっかりと刷り込まれる。

 

このこたちはきっと死ぬまで「環太平洋造山帯」について忘れることはないだろう。

 

そして私も「東村山音頭」は忘れることがないだろう。

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